AFFECTUSの新井茂晃です。
前回は2020春夏パリメンズコレクションを取り上げましたが、今回は前々回までのデムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)のデザイン変遷を辿る連載を再開します。
第3回となった前々回では2017春夏コレクションまで進みました。そのコレクションで僕は、デムナのデザインが洗練され始めたことで新しい魅力を感じつつも、デムナ最大の魅力「圧倒的醜悪的美意識」が薄れてしまったことを述べました。
やはりデムナ・ヴァザリアのデザインは、これまで世界で醜いとされてきたファッションにエレガンスを見出して提示するパワーこそが魅力だと僕は思っています。それでは、2017秋冬コレクションからデムナは自身のデザインをどのように展開していったのでしょうか。
「普通の服」がパリモードの舞台に
2017春夏コレクションで僕はデムナのデザインに対する物足りなさを感じました。しかし、その思いは翌シーズンの2017秋冬コレクションで完全に払拭されます。
「よくぞ、こんなデザインを発表してくれた」
そんな想いとともに。
デムナがヴェトモン2017秋冬コレクションで見せたのは「普通」でした。まるでデムナ本人が街中で歩いている人たちを観察していて、魅力的だと思ったスタイルの人々に声をかけ「そのファッションいいね。その服のままショーに出てよ」と言うやりとりがあったのではないかと想像するぐらいに、パリのランウェイを歩くモデルたちの服装が極めて普通なのです。
普通なのは服装だけではありません。モデルたち本人も、他のブランドのようなスタイル抜群のプロフェッショナルなモデルたちではなく、多種多様の様々な体型と人種、年齢のモデルたちが、日常的に着ている服を着てパリのランウェイを歩いていると形容するほどに、本当に極めて普通の服装なのです。
普通がパリモードを、世界を変えていく。そんなふうに称したくなる、普通の服で非常識なコレクションを発表しました。僕はこの姿勢に驚くと同時に、爽快感を実感しました。人々の想像を超えてこそモード。それを具現化したデムナの創造性はとても清々しいです。
ショーから一旦距離を置く
普通の服でパリコレクションに殴り込みをかけたデムナ。2018春夏コレクションでは、発表方法を変更します。これまでのショー形式での発表から、ヴェトモンの最新ファッションを着用したモデルたちを写したビジュアルでの発表へと切り替えてきました。
その発表形式が、2017秋冬コレクションで発表した普通さを、さらに研ぎ澄まします。ビジュアルにに映る人々は、街中で見かけるような普通の人々で、年齢、性別、体型が本当にばらばら。デムナはすべての人間にヴェトモンのファッションが似合うと主張するかのようで、ヴェトモンらしいボリューム感あるシルエットなのですが、発表された服そのものはいたって普通です。
なぜ、普通の服に心が動いたのか。
新しいことが本当にファッション?
デザイナーが自身の創造性を発揮し、先端的なスタイルを発表するモードでは新しさが重要です。これまでのファッションを書き換え、書き換えられたファッションが人々の新しい生活をクリエイトする。そんなデザインこそが、モードでは価値が感じられてきました。
しかし、デムナが2017秋冬と2018春夏の両コレクションで発表した最新ファッションは、最新でありながら最新さを感じさせない極めて普通の服でした。
人と違う服装を着て、人と違っていなくてはならない。
それが本当にファッションなのか。
デムナのデザインはモードの鉄則に疑問を投げかけたとも例えられます。彼は変わらない日常から普通の服を切り取り、モードの文脈に載せました。次から次へと最新ファッションを競い合う場に。
ファッションの価値とはどこにあるのでしょうか。その問いに対する答えを見つける。それもまたモードなのかもしれません。
次回では2018秋冬コレクションからスタートします。
普通さをデザインしたデムナですが、今度はその普通さをあっさりと捨て去ります。彼はスタイルを大きく変貌させてきたのでした。
〈続〉