本当に求められる生産者とは

আস্সালামু আলাইকুম! (アッサラーム・アライクム!)

バングラデシュの生産現場よりお届けします、ハルカです。

日本の友人によく聴かれる「バングラ、コロナどんな感じなの?」という問いに対して、最近は「日本と同じだよ!」と答えるようにしています。

真意は、「その国の専門家達が、その国に合うと思われる施策を打つ。
そして、それが上手く機能することもあれば、しないこともある。」という意味です。
上手く機能したら、ラッキー。機能しなくても仕方ない、だって皆んな初めてのことだから。

そう考えると、何だか「ねぇ皆んなで力を合わせて頑張ろうよ!」という気持ちになりませんか!

生産国の現状

完全ロックダウンが施行された2020年4月、そこから数ヶ月間はまるで地獄絵図のようでした。
アパレル生産大国バングラデシュが得意とする「大量生産」のオーダーは大量にキャンセルされ、バイヤーからの支払いも滞る。その影響で、工場は仕事を失い稼働停止、工員さんたちへの給料は支払われず、多くの人が路頭に迷い、物乞いとなる。

あれから1年。状況はかなり改善されました。オーダーは段々と戻ってきており、滞っていた支払いも回収開始。
街中の様相も、誰一人いないゴーストタウンと化していたダッカには、今や、人が溢れ店も開き、ほぼ通常と言ってもいいほどです。

全ての生産者が元通りになった訳ではない

一時期は、昨対2割にまで落ちた生産量。そして、1年経ったいま。国全体で見ると、数値的にはほぼ元通りになっています。

しかし。国内に7,000もあると言われていた縫製工場、その全てが生き残っている訳ではありません。
では、どんな工場が残ったか、それは、①バイヤー達との関係性を以前より構築出来ていた工場、そして、②いま生き残ることだけでなく未来を見据えてお金も能力も投資できていた工場、この2種類に集約できるかと思います。

前者(①)に関しては、「代わりの効かない関係」と言い換えることも出来ます。A工場で生産しても、B工場で生産しても、実際は商品の品質や納期は大して変わらない。その条件下でA工場が選ばれる理由は、「A工場だったら、いつもコミュニケーションを円滑に取れるから」や、「A工場だったら、話が良く通じる”あの人”がいるから」という、B工場が持ち合わせていないポイントがある、そこだと思います。

後者(②)に関しては、「長期的な視点があるかないか」がポイントになってきます。この世界情勢下において、今やどこも大変です。工場はもちろん、そこにオーダーする中間商社や、取引先の資材屋、バイヤーやブランドだって、この状況下では通常運転は難しい。特に資金繰りに関しては、少しでもコストを抑えることが出来たら良いというのは、関係者各位の共通認識です。

しかしその状況下でも、目先の仕事だけに全神経を集中するのではなく、高性能な最新鋭の機械を導入したり、経験豊富で実績のある人物を雇いオペレーションを回るようにしたりと、将来を見据えた具体的な施策を打つ工場の多くが、生き残っているように見えます。

(全ての皺寄せに成り下がっていた工場が存在するのも事実で、、以前から個人的に仲の良かった某工場長の工場が、資金繰り等々の問題で破綻したという話を間接的に聴いた時は、関係性が近かったが故に相当ショックでした。)

本当に求められる生産者とは

簡単にモノを作れる時代、何処で誰がつくっても同じ、そんな世の中になってきています。
特に、バングラデシュのような「大量生産」を得意とする生産国においては、品質を求められるというより「納期」や「人件費」に焦点を当てられるシチュエーションが多いです。

そんな状況下で、況してやこの世界情勢下で。求められる生産者の姿を、”生産側”の人間が改めて考え直さなければいけない、そんなリアルを痛感する1年でした。

見えない敵は、姿形を変えて、まだまだ攻めてきます。

全ての皺寄せに成り下がり現状を嘆くだけの弱者だった今までと、同じやり方では生き残れません。自分たちが能動的に動いていく必要があるのです。

本当に求められる生産者になるために、そして、これからも生き残るために。

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飯塚はる香
About 飯塚はる香 29 Articles
“ファッションを通して世界をよりステキに”が、モットー。2013年〜日本で就職。某アパレルブランドのマネージャーとして神戸や吉祥寺などで勤務。2016年〜カンボジアへ移住。アパレル大量消費国の店頭から大量生産国の工場へと拠点を移す。2019年〜バングラデシュ在住。アパレル生産国で品質管理の仕事をしている。「国際協力×アパレル」の道で、生きていく。