デザインの使い所に見直しが必要?

 

春がきませんね〜

豆まきしましたか?恵方巻き食べましたか?

面白い文化ですよね、民俗学好きとしてはここもたまらない題材なのですが、これは今度個人的に書くとして・・・

さてさて、

デザインというのは一般的に「見た目をかっこよくする行為」だと思われがちなのですが、最近の流れはちょっと違うのかな、と思っています。

よーし頑張って書くぞ。

デザインはどこに介入するべきか。

デザイナーなら一度は誰だって言われたことがある

「見た目をよくしてほしい」

これは最もデザインが有効に働く部分と勘違いされがちなのですが、じつはそうではないと個人的には思っています。

見た目がいい商品なら、市場に溢れかえっていてそれらがそこまで芳しくない結果を残している中で同じ轍を踏む意味がよくわからない。

つまりはデザインが介入すべきはここです。

商品・またはサービスの概要を決める段階からそこにデザインの介入があるというのが理想的な場合があります。

例えば、よく聞く話なのですが

「スーツをデザインしてください。この素材があそこで売れているのでこれを使って下さい、あとスカートの着丈は必ず63cmでお願いします。毎年これが売れるんです」

残念なことにこの時点でデザインの大半は終わってしまっていることに気がつかないケースは多く、デザインというよりもそれは”専門家に任せた”という保険的な事実が欲しいという構図にも見えなくはないです。

デザインの専門家が介入すべきポイントはじつはもっと前なのだけど、上のように「毎年これが売れる」「あそこで売れてるアレ」というのをものづくりのスタート地点にしている以上、それは難しいのかもしれません。

 

なぜマーケティングの話をするのか。

なぜ、マーケティングの話をするのか、と言われることもあるのですが。

やればやるほど思うのだけれど、いまデザイナーに求められていることの多くはたぶんその感覚なのでは。

グラフィックを始め、あらゆる業界の中でデザイナーの存在感が大きくなり、

デザインについて考える人が増えてきたときに、いままで分断されてきた数字とデザインのその溝を埋める人間こそがいま必要になっているのではないでしょうか。

今の「人々の流れ」を見て提案をするような人間が組織には必要だとすると、それはデザイナーが見る視野はいままでよりもう少し広くなくてはならないのでは、と思います。

過去の数字を見て受け身では動いているだけの間は、今から以前しか見えない。

それではデザインの介入する余地がない

日本のファッション・アパレル業界はその考え方が追いついていないのかもしれない、と最近感じます。

もしくは数年にわたるファストファッションの台頭、その前に起きた価格競争の中で見失ってしまったデザインの力をまだ取り戻せているところは少なく、かといってマーケティングの使い方も誤っていることも多い。

これを解決するには企業はもちろんのこと、教育機関にも見直しが必要だろうと感じています。

ただし間違えてはいけないのは、マーケティングに踊らされていてはいけない。マーケティングはツール・またはソースとして使うもの。

デザインの介入するべきポイント、デザイナーが介入するべきポイント

すなわちデザイン思考が介入するべきポイントを考え直すタイミングが来ているかもしれません。

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中溝 雪未
About 中溝 雪未 69 Articles
1990年生まれ。コレクションブランドの企画室でインターンからデザイナーアシスタントとして勤務。その後アパレルブランドで布帛・ニットをはじめとするデザイナーの経験を積み独立。現在フリーランスとして企画・デザイン・パターンを担当。 プロダクトアウトなものづくりからマーケットインまで、偏らないバランス感覚を武器に、コンセプトメイクからお客様に届くまでをディレクションするプランナーとして業界を問わず活動中。