アパレルに限らず、今はすべての職種の企業で「まともな人」がそろっています。今の20代・30代には想像ができないかもしれませんが、当方が若い頃、企業には「まともではない人」が多くいました。
就活も今のような「まともな」ものではなく、とんでもないやりとりが多くありました。
例えば、伊藤忠商事を例に挙げましょう。今、伊藤忠商事に入社する人はエリートでしょう。しかし、当方とほぼ同年代の40代後半の課長の中には、とんでもないパフォーマンスで入社を勝ち取った人もいます。
高校時代には相当に強い野球部に所属していたらしいのですが、伊藤忠の人事担当者と喫茶店で会うことになったそうです。
で、喫茶店では現在のような「スマートな」面接が行われたわけではなく、なんだかよくわからない雑談に終始したといいます。
挙句の果てに、人事担当者が「ここでピッチャーが牽制球を投げる真似をしてよ」と言い出して、喫茶店内でピッチャーが一塁へ牽制球を投げる真似をやったそうです。そして入社が決まったそうです。
今ではこんな面接を行う会社はありません。もちろん伊藤忠商事もピッチャーの真似をさせるようなこともありません。
就職氷河期が訪れるまでの日本企業というのはこういう採用でしたから、採用された社員もおかしな人が多くいました。
トップセラーのみなさんが、日々情報を仕入れている繊維・衣料品系の業界紙の話をしてみましょう。
だいたいが昔の新聞記者というのは一般紙・業界紙に限らずちょっと風変わりな人が多くいました。
業界紙の記者・営業は各紙ともによく酒を飲みました。毎日飲んでいる人も珍しくありませんでした。業界紙はだいたい17時半から18時に終業時間を迎えます。残業で記事を書く場合もありますが、残業がなければ定時にあがって、そのまま飲みに行きます。
そのせいか、各紙ともに社内に一人か二人はアル中の人がいました。
朝から酒を飲んで出社したり、昼間、外回りの途中で一杯ひっかけてきたりというのは日常茶飯事で、酒が切れるとときどき手が震えていることもありました。
また、毎晩のように酒を飲みに行って借金を抱えている人も珍しくなく、そのうちの一人は、毎日エレベーターの前で借金取りに待ち伏せされているという有様でした。
飲み屋でやくざの女と喧嘩をして揉めた人とか、朝、自社に出社せずになぜか得意先のメーカーに行って、そこの役員室で勝手に新聞を読んでいる人とか、会社にはおらずに記者クラブにずっと一日中いる人とか、まあとにかく今では考えられないような社員がたくさんいました。
当方よりも15歳以上上のベテラン記者・営業マンがこんな感じで、今ではもう65歳以上で多くの人がリタイアしているはずです。
片やアパレルの方でも相当に変わった人が多くいました。昔のアパレルも業界紙同様に酒好きが多くいました。
今は引退している某大手アパレルの3代目社長は、仕事面ではあまり有能でなく、毎晩銀座のクラブだかキャバクラだかで酒を飲んで愚痴をこぼしていたといわれています。
また四元さんの出身である某メンズアパレルは、マスコミを集めての忘年会を毎年開催していたのですが、この忘年会は徹夜で行われます。メンズアパレルの定休日が水曜日なので忘年会は必ず火曜日なのですが、マスコミは水曜日が休みではないので、徹夜で出社することになります。
そこまでして酒を飲まなければいけないものなのかと、当時も今も疑問でしかありません。
何が言いたいのかというと、アパレル業界の福利厚生にはまだまだ是正しなくてはならない部分もありますが、20年くらい前と比べると格段にマシになっているということです。
それにしても、今から思うとそういう人たちがちょっと懐かしかったりします。(笑)
この20年間で世の中は随分と様変わりしたものです。今後こういう人たちが再び企業に存在することにはならないでしょうから、逆に今となっては、若い頃に貴重な体験ができたと感じています。