確か前々回は「君の名は。」について書いたのですが、先週は「LA・LA・LAND」を観てきました。こうやって書くとすごく映画を見る人だと思われがちなのですが今までは見てもファッションのための古い映画ばかりで、上映されているものを見るのは「君の名は。」が数年ぶりでした。数年ぶりのやつがあんなこと書いてすみません本当に。
性懲りも無く今日も映画の話から入らせていただくんですが、LA・LA・LANDを観て感じたのは「あ、わたしも映画観ていいんだな」ということでした。
感想はやっぱり「よかった」になるのでこれはもうわたしの語彙力が著しく低い可能性もありますが、何よりもまず先に「よかった」んです。しようがないのです。
わたしが今まで最近の映画を避けてきた理由は単純で「なんかわからなくもないけど、難解で、通の人たちが言っていることを調べてみるけどやっぱり難解」というイメージでした。
ですが今回「君の名は。」と「LA・LA・LAND」を見た後で「これだったらまた映画観たいな」と思ったのです。そうです、リピーター予備軍です!
つまりファッションもこういうことなのでは。と思ったという話が次の章からです。
エンタメ性を軽視しない
ネットでいくらでも情報が入ってくる時代。Google先生にお尋ねしてみて大体一ページ目に上がってくるものが「マジョリティの意見」だと捉えがちですし、SNSで気にしていなくても他人の情報が入ってきます。今思えば、わたしが映画館から足が遠のいていたのも事実そういったネットからの「あのストーリーの裏にはこういう伏線の回収があってだな」という、私にはどうも難しい情報だったように思います。
でも今回チケットが余っていたのでたまたま観にいったのです。そうしたらなにやら面白い。映画に対して、がくっとハードルが下がった瞬間でした。
ファッションもよく「難解だ」「難しい」と言われますし、業界人のマウンティングなんていうことも言われますが、そういう人たちに向けてやっぱり「体感」してもらうというもう一段階前の企画力が必要なのだな。と思っています。それがECでも、ECから店舗への誘導でも、店舗でも構わないのですが、先日深地さんも書いていたように「タッチポイント」はあらゆる方法を用意しておかなくてはならない時代になったな、と。
まずはその服の着心地、着た時の高揚感、世界観をしっかり体感してもらって「よい!」と思ってもらう。それが一番大事だなと。
パターンがどうとか、素材がどこ産でとか、ここの仕様がとかそういうのはすぐに語れなくてもいいと思うんです。
まずは「なんか服こだわってみるの楽しいかも」とか「なんかここの服好きかも」など。そういうのが大切で、多分ファッションの本来の楽しみ方はそこです。パターンや素材、デザインはそのための手段となります。「このお店に来るの楽しい!」でもいい。
もう一回言いますけど、いきなり高校卒業したての若い子が「袖の振り方おかしくない?」とか言い出す方が「ひえええええ」という感じです。いや袖の振り方はちゃんとした方がいいです。私たちはプロですからね。もちろん。(こういったパターンのことをnoteに書かれているパタンナーさんもおられるのでぜひそちらでチェックを)
まずは原点回帰。
楽しいと思ってもらうそのエンタメ性が一つ、間口を広くするポイントなのではないかなと思いました。
でも「バレンシアガを語る人」も必要
多分世の中で「業界人のマウンティング」と言われてしまうのはここなのかなと思います。こんなことも知らないの?っていう。そういうことですよね。
今だったらバレンシアガとデムナの話なんて、世の中の大半の人にとったら多分その日の夕飯よりも気にならないキーワードだと思うんですが私たち業界内の人間にとってはホットワード中のホットワード!いやあ今期のコレクションはクリストバル・バレンシアガとデムナの融合で・・・・なんてことを語りたいわけです。
でも「こういうファッションの小難しい部分が間口を狭くしている」なんて言われてしまうケースがあってとても悲しい気持ちになるのです。「ファッションの難しい部分」が悪なのではなく、それの使い方の問題だと思うんです。ファッションにおいて哲学は、そのブランドをブランドたらしめる最も重要な要素の一つです。文学も映画も音楽もそう。学問的に突き詰めていくと、哲学というのは切っても切り離せないブランディングの大切な要素です。
ちゃらちゃらしたものの捉えられがちなファッション業界ですが、その文化としての真髄はかなりアカデミックであり、解釈は様々ありますが歴史を学ぶことに近い感覚があるように思います。
確かにこの部分はいわゆる「沼」なのでもうファッションに両足突っ込んであとは沈んでいくだけです。というような最高な皆さんがたくさんいらっしゃると思うんですが、わたしたちその沼にはまっている人間が意識するべきは、その学びを止めることではなく、こういうことかなと。
わたしたちはもう、業界の中の人間としてある種のフィルターがかかっていることを忘れちゃいけないし、それは駄々をこねてもわからない人にはわからない。だからといってフィルターがかかってる人間同士でコミュニティをつくると、いつの間にやらなりを潜めてしまう。
— ひがしだうに(cow.ltd) (@Yukimi000) February 27, 2017
バレンシアガについて語れないから、ファッションを楽しんでいないわけでもないし、かといってファッションをダメにしているのがそういうアカデミックさでもない。
というかそこで殴り合いしてる場合でもないような・・・。
(極論はわかりやすいのですが、排他的になりがちであまり得意ではないので、いつもこんな文章になってしまいます。すみません。)
今回「映画に対する価値観がひっくり返った体験」を通して感じたのはこういうことで、ファッションに対する無数のアプローチ方法がある中、どれが正解どれが間違ってるというのはターゲットや理念によって違ってくるのでナンセンスであり、大衆に愛されるポイントは「ポジティブ」な感情、つまりは楽しいというものであり、でもその裏には、作り手の持つ知識や考え方アカデミックな部分がぐっと詰め込まれているという構図でした。
ファストファッションの台頭で高価格なものが売れないと嘆くのもある視点から見ればその通りなのかもしれないのですが、ファストファッションやライフウェアにはない魅力をファッション業界はちゃんと持っていると思います。
「低価格」ではないところで戦う力は「エンタメ性」と「哲学」の部分にあるように感じました。
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