そうだ未来の話をしよう。
明日も1年後も大した違いはないこの2017年に、過去のことを批判したり、今日の不満をかき集めて話す必要なんてない。
私たちは誰に学ぶでもなく、生まれた時から変えられるのは未来だけだと知っている。
かといっていま見えている未来に、不都合な真実が含まれていないかというと、そういうことでもないかもしれない。
ITの発展はめざましく、AIは2045年に人を超えるだろうと言う学者も多いという事実を、どれだけの人が自分ごととして考えているのだろう。
シンギュラリティは近いのだ。
この書き出しを読んで、アパレルは関係ないと思うのなら、それはNOである。
人間が生み出したあらゆる産業は、人間が生み出した技術によって労働を取って代わられようとしている。アパレルだけがその文脈から外れるなんていう都合の良い話は、可能性のとして、私が今から西島秀俊と知り合って結婚する確率よりはるかに低いということはもう受け止めなくてはならない。異論は認める。
これを悲観的に、または感情的に受け止めることもできるし、まだ見ぬ未来を見据えて楽しみながら迎えることができるかは個人で違うとは思うのだが、時代を味方にできるのはどちらだろう。
恐怖を感じる人もいるかもしれないが、もういまこうしている間にも懸命な研究者たちによって進化は進んでいる。
と、まあ神妙な面持ちでここまで書いたのですが、どうでしょうか。
AIやITの進化というのは、それそのものが社会の進化といっていいほどわたしたちの生活に影響を及ぼします。
こういった新しい技術に関して、ミクロの視点で見るととことん悲観的になりがちなのですが、ファッションをさらに民主化することを可能にするのもこの分野かもしれない。
こういう話をすると、「あの頃のようなファッションの盛り上がりがもう一度あるのだろうか」というようなセリフを耳にすることも多く、違和感を抱くことも多いのですが、「二度と同じ時代はこない」ということを肝に銘じなくてはならないと感じます。
流行やトレンドは繰り返しますしリバイバルが起こりますが、いままで存在しなかった概念が世の中に生まれている以上、見たことのある景色で未来を予想することがそもそも難しいのだと思います。
あらゆるエラーをなくしていく
そこに「人と人を介すコミュニケーション」や「ヒューマンエラーから生まれる産物」を抜きにして考えれば、ほとんどの業務はコンピューターにできないことではないといえるでしょう。
デザインや、パターンメイキング、販売に至るまで、それそのものを行うことは、単純に考えればもう近い未来に実現するのだろうと考えられます。
コンピューターにできることは「計算すること」と「たくさん記憶すること」。
名人を超えたと言われる将棋ソフトPonanzaの開発に関しても、プログラム同士に対戦をさせ、それを大量に「手」として記憶させる。その点で面白かったのは、AIに一切将棋のルールを教えなくても、対戦の中で学んで反則(二歩)をしなかったのだそうです。
(人工知能に関しては、Ponanzaの開発者山本一成さんの本「人工知能はどのようにして名人を超えたのか」がとても面白かった&わかりやすかったのでおすすめです〜)
じゃあ人間はいらなくなるのか?という極論になってしまいがちで、AIと聞くと「デデン・デン・デデン♪」というあの音楽が聞こえてくる人も多いと思うのですが、もうそうなったらそうなったでシュワちゃんに任せましょう。
人間は自主性を問われる
あらゆるエラーはコンピューターが補助をしてくれる時代に突入します。
デザインソースは誰もがGoogleから引っ張ってこれますし、販路開拓もSNSで行うことができます。
間口は大きく開かれているし、視点を変えれば、閉鎖的だった業界も新しい流れに抗えないようになっていきます。
その時に人間の能力の差はどこで生まれるか、というと「メンタル」や「モチベーション」の部分となっていくのではないでしょうか。自主的に動き、時代の流れを味方につけて、自分の文脈を自分で作れる人。
まずは受け止めて、知ることから始めなくてはならない。
学校の教育はわたしたちの基盤となるはずでしたが、もう教育は社会の進化に追いついていません。
アインシュタインは電話番号を一切覚えなかったという話をご存知ですか?
電話帳を見ればわかるからです。
Googleを見ればわかることは、きっとそれに近い。
知識というのは、そういうものになりつつあります。
デザイナーであるのにこれを言うのはどうなのだと思うのですが、販売という職種は私たち以上に「人間同士」のコミュニケーションに付加価値をつけることができる、そして経験が必要で、人間独特の「間」を要するように思います。
まだ見ぬ未来を考えて、感情的になる気持ちを抜きにして、ファッションはどこに向かうのでしょう?
皆さんは、どう生きますか?