「服」って一体何?

先日、母校を訪ねる機会があり、学食でお昼を取っていたところふと気がつきました。

「ブランドアイコン的なアイテムを着ている子がいない」

卒業以来定期的に足を運んでいますが、ハッとしたのはこの前が初めて。

マルジェラの四点止めや、マーチン、ジュンヤにヴィヴィアン。そこまでわかりやすいアイテムではなくとも、それらしいものを着ている学生がまず見当たりませんでした。

もう少し前までは多少なりとも見かけたものですが、本当にいない。

 

私たちは、何を売り、何を消費している?

 

わたしは学生の頃、アントワープ6やマルジェラの服が好きでよく着ていました。

似たような服がたくさんあるけど、それらのブランドで買っていました。

なぜって、わたしは「着るもの」が欲しいんじゃなくて、彼らの物語や思想から生まれたものが欲しかったから。

別にこの思考回路が正しいわけでも、崇高なわけでもなく、わたしはそうだったんです。

同じ「服」を売っていても、または買っていても、

服が持つ意味はそれぞれ違っていたりします。

どんな意味をもたせて、どういう風に伝えるのかでそれは大きく変わってくる。

服が売れない売れないと嘆く中、Supremeがあんなに売れるのはなぜでしょうか。

その背景にあるものと、今の実態は?

そして、あなたが着ているものは、何?

 

服ができる背景がまるで違う

 

服が持つ意味は、ブランディング、イメージ戦略などで操作されると思われがちですが

それらの服の作られ方にももちろん違いがあります。

ユニクロが作る服と、ディオールが作る服の人の関わり方や規模感、全然違うはずです。

人件費とかそういうことよりも、作る人と商品の関わり方。

このあたりをもう少しオープンにすることは、ひとつ「らしさ」を出すポイントでもあるように思いますが。

自動化やIT化が叫ばれる現代ですが、それに伴って「人の手」を介するものへの視線も熱くなっているように思います。

どちらがいいかではなく、一方が一方を淘汰しようとすると、守ろうとする人が現れるわけで

それは自然の摂理、人間心理であり、そうやってかわりゆく社会の中で、今までもあったものが違う切り口で見直されることはいくらでもあるわけです。

一時期は工場公開がキーワードに上がっていた時期もありましたが、

オープンソース化というのはファッションが持つ歴史やカルチャーを語る上で有効な手段のように思います。

 

「皮膚を覆うもの」ではない何か

 

よく男性の起業家やIT関係の人に頼まれて服選びを手伝うのですが、

最初は「ユニクロ以外の服に興味ない」という彼らも、

「なにかこう、いつも同じになっちゃう」とか

「高揚感がないっていうか」とか

ショッピング付き添いのお礼におごってもらったお寿司やパフェを食べながらざっくばらんに話すと本音がちらり。

すぐにはメゾンの旗艦店に入れない彼らも、「なんでこの服がいいのか」という話を例えば着心地、例えば素材、時にはブランドの歴史などでお話しするとぐっと引き込まれて、話を聞いてくれます。

Macのためならいくらでも出す!というような人たちも多いあの業界は、実は服に無頓着な人も多いです。

じゃあMacには何でお金を出すの?と尋ねると、その歴史やデザインの思想、魅力、オープンになっている情報が彼らの口からどんどん出てくる。

彼らはスマホを買っていると同時に、「デバイス」ではない何かも買っているわけで、

じゃあいま、彼らは服をどういう意味で買っているのか

それが大事なポイントのように思います。

「高い服が売れない!」じゃなくて「彼らにとって服って何?」という考え方。

最初の切り口、問い方の違いなのかもしれません。

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中溝 雪未
About 中溝 雪未 69 Articles
1990年生まれ。コレクションブランドの企画室でインターンからデザイナーアシスタントとして勤務。その後アパレルブランドで布帛・ニットをはじめとするデザイナーの経験を積み独立。現在フリーランスとして企画・デザイン・パターンを担当。 プロダクトアウトなものづくりからマーケットインまで、偏らないバランス感覚を武器に、コンセプトメイクからお客様に届くまでをディレクションするプランナーとして業界を問わず活動中。