水曜日に浴びるように飲んだ日本酒が未だに尾を引いている気がします。
美味しいご飯と楽しい話があると、何時間も飲んでしまいます。
だいたいお酒を飲むと(飲まなくても)楽しくなってしまうので、美味しいご飯があれば延々飲み続けてしまうのが悩みです。以前酔っ払って1月1日の深夜にAmazonでラズベリージュースを12ℓ発注しかけた事もあるので、本当に注意していきたい。
それにしても「楽しい」というのはなんとも不鮮明で、形容し難い感覚だなあと(四六時中楽しそうと言われる割に)思っているのですが、最近仕事をしていてはた、と気がついたことがあります。
わたしは服のデザインの仕事や、パターンを引いたり、果てには営業もするんですが、結局のところ「企画」を名乗っていまして、いわゆる「服をデザインする」ってことだけでは終了しないですし、マーケティングして終了ということもないんです。
ものを作る事が仕事ではなく、「欲しい」と思っていただくところまでが仕事だと思っています。
商品はユーザーとのコミュニケーションツール
もうこの小題のとおりで、私は自分のアウトプットの最重要目標設定を「自己表現」とは思っておらず、会社とお客様とのコミュニケーションツールとして認識しています。(全力で自分を消してしまえという事ではないです)
当然といえば当然なのですが、会社がそのブランドでお客様の何を解決したいのか。どんなことを実現したいのかを伝える大切な一つのツールです。
ユーザーへの提案を明確にできているブランドや企業が、売り上げを立てているように思いますが、アパレル・ファッション全体としてその部分が足りないのかもしれないな・・・ということを考える事があります。
商品をコミュニケーションツールとして捉えると、作って、百貨店のいい場所を確保して、売り場に置く事が最善ではない場合も出てきます。
価格が安すぎる、高すぎるという相対的な問題ではなく、商品を手に取って欲しいお客様と触れ合うにはどれくらいの価格設定がいいのかで上代を考えたのち、他社との比較などを参考にするという手順を踏みます。
「何を目的とするのか」を明確にアピールする事で他社との差別化を図り、そこからアプローチの仕方を考えていくと、今までの業界では「非常識」とされることが、実現するべきものに見えてきたり、必要なものとして浮き上がってくる事が多いと感じています。
非常識と常識の壁
歴女と言われるのがいやで隠しているのですが、昔から歴史が好きなんです。あ、歴史上の人物でもっともネーミングセンスが良いと思っているのは三寅ちゃんです。
話が逸れました。
孫武の「孫子」というもうすんごく意義のあるとされている兵法の書物があります。そして三寅ちゃんは1218年生まれですが、「孫子」は紀元前4〜5世紀ですので何の関係もありません。
さて、孫子で有名な一説に、「常識と非常識を使い分けよ」という言葉があります。
業界のしきたりの中で生きた人間にとって、非常識の壁を越える事への心理的障壁は非常に大きく、難しい事であるのはここ数年のアパレルを見ていてもよくわかる部分です。人間ですから。
しかしユーザーにとってその「業界の常識」が今必要なものなのかを見つめ直すと、一概にそうではない事も多いのは言うまでもないのです。
「非常識であれ」とも「常識であれ」とも違う、その二つを使い分けるという考え方を持つと、新たなユーザーとの接点が見えてきます。
商品を作って売り場に出すだけではなく、「欲しい!」というあのポジティブなワクワク感をお客様に感じてもらいたい。
その時に従来のやり方だけでは難しい事がほとんどだなあと思う事が多く、少しでも新しい「欲しい!」の喚起をしていける企画を目指したいと思います。