こんにちは!
来週から暑くなると聞いて(また)どこかに逃げ出そうかと目論んでいるなかみぞです。
秋の!!カナダは!!
真っ赤だな!!!!! https://t.co/YRd0JIobYn— うにみぞゆきみ (@Yukimi000) June 21, 2018
カナダとか良いかもしれません。いいね、3。
はてさて、ファッション業界にかぎらず、パクったパクられたって創作が伴う業界(つまりほとんどの業界)にとても多いと思うんですけれど、皆様の感覚ではどうでしょう。
私自身もなんども経験しているし、SNSでよく騒ぎになっているのも目にします。
一番「あれま参ったな」と思ったのは、スタートアップや中小企業で出した”機能面”の画期的なアイディアを丸っと大手に持って行かれた時ですね。
デザインが”機能”に直結していると、特許取れるレベルに達していない限り真似しやすいんですよね。
そのほかにも、某アクセサリーとか、冬になると駅ビルに溢れ出すコートとか、デザインまるっと大手・中小に限らず、持って行かれることはよくありましたし、今もあります。
逆に言うと、タブーかもしれませんが会社員でQR(クイックレスポンス系)のブランドにいたころは「あそこのこれそのままやっちゃいなさいよ!(なんで思いつかなかったのよ!! 怒」みたいな指示もありました。
半月後にはそれを店頭に出していないといけないので、パタンナーさんと話し合って詰める時間も、先上げで修正なんてする時間ないんですよ。パターン出した後は中上げです、中上げ。
それでも、きっちり”デザイン部隊””企画部隊”が機能している会社だったので、まったく同じにはならない。
きちんと自分たちのブランド、そのお客さんにあったものにリ・デザインされます。
その程度問題こそあれど、です。
組織内の企画・デザインの実質的不在
二番手を取りに行く(これが大手の場合販路の広さから一番手に出るケースも多いですが)企業を見ていると、たとえ企画チーム、デザインチームが名目上あったとしても、実質的に不在であるというケースがほとんどです。
その実態は様々ですが、
・企画なのにその他の業務が多すぎて腰を据えて企画に取り組める状態ではない
・デザイン業務を根本的に理解しない人物が統率している
・そもそもがインスタや何かの資料をそのまま作ることを前提にしている
などなどが出会うことが多いケースです。
実際に企画っていう人間がまったくいない(いるのはバイヤーさんのみ)企業さんに、まるっと持って行かれたこともあって、「まあそうですよね。体調大丈夫ですか?(←忙しすぎて本当にいつも死にそうだったから・・・)」っていう感じなんですが。
そしてデザイン業務を根本的に理解しない人物が統率している=インスタや他社の資料をそのまま作る、になることが多い。
特に統率者が営業しかやったことがない、っていうことになるとその下にデザインをしたいデザイナーがついた場合悲劇的なケースも多いです。全てとは言いませんが。
あえてフォローをするならば、デザイン業務を根本的に理解しないっていうのも、仕方ない部分があります。
あの真っ白なトワルに、柄がついて、附属がついて、ぐるり5ミリ縮めて、ギャザー倍率はこれくらいで・・・・って作ったことない人が想像できるわけないんですよね。
あれはデザイナーやパタンナーすら、経験の賜物じゃないでしょうか。
でも作ったことないけど、決裁は自分が持たないといけない・・・となると、見えてる資料をそのまま作る方が安心ですよね。
っていう悲劇は、その本人よりさらに上位のマネジメントがエラーを起こしていると考えることができます。
でもこういうのを作れと言われて、作って、パクリだと炎上したらだいたいはデザイナーの責任です。
だって一応デザイナーなので。
そこで殴り合いに持っていければ良いのですが、そうではない人が大多数ですよね。
わたしも会社員の頃は日々の業務に疲弊して言い返す力なんて残っていませんでした。
このように、大抵の場合は組織編成に問題があること、マネジメントや社風によって起こっていることがほとんどだと思います。
表層上のデザイン
上に書いたようにそのまま頂戴されていった我がプロダクトも多いわけですが、そんなに気にする風でもなく書けるのは、それが表層上のデザインだったからに他なりません。
私の場合は、ですが。
なぜそのデザインになったのか、の中にアイデンティティがあれば、ある程度守れるものがあります。
そこを真似されないほどに緻密に設計すればこそ、出来のいいプロダクトだなと満足です。(勝手に
でも表層上のデザインに関しては、わたしがデザインしたある一型がどこかによって安価に作られ、消費されていった場合、マスに受け入れられる検証を勝手にやってくれたくらいに思いますし、失敗してるならその逆です。
デザインする側としては、「そのデザインの堅牢性はいかほどか」を考えてデザインし、消費されるある種の賞味期限を見越して設計しなくてはなりません。
デザインは消費されることがあります。
でも、それは模造品をよしとしろ、ということではありません。
最近はタチの悪いケースも増えてきて、個人的に困っているのも事実です。
その場合はもちろん法的手段にでることも、また選択肢の一つです。
ルブダンのレッドソールも世界各国で判決が出ていますが、あれは「レッドソールはこうして生まれた」よりも、「レッドソールといえばルブダンだよね」が先行しているがゆえでしょうし、それはルブダンにとって徹底して守るべきものだと思います。(確かアメリカでの裁判時、ルブダンを履いた女性に街を歩いてもらい、その女性を目にした人に「あのパンプスはどこのだった?」と聞いてどれくらいに人がルブダンと答えたか、を裁判資料としたという記述を見た気がします)
自社のプロダクトにとって、核となるもの、重きをどこに置くのか。
それによってこういうときの戦い方も変わってきます。
自社のことを理解せず、表層上の部分のみで戦うのは裏目に出ることも多い。ネガキャンになりえます。
そして、攻め立てるにしても、その背景にいるのは人。
組織的な問題を人に押し付けられることがないよう、それ以上の悲劇が起きないよう、そんな方法を取りたいと願ってやまない。
“それ以上の悲劇”を見てきているからこそ。でもあります。
デザインにはデザインで解決を、なんて理想ですが、考えることを惜しまず、今日もやっていきたいと思います。