毛嫌いされるマーケティング、その本来の意味

まずはじめに、こういうことを書くというのは結構勇気がいりました。

web上では印象だけが先走ってしまうので、クリエイション、デザイナーなどの仕事に対して不信感を抱かれる事も少なくない。なぜ不信感を抱かれるのか、他業界の方にはよくわからないかもしれないのですが、マーケティングを話すデザイナーに対してクリエイティビティがないのではないかという疑念を向けられることは、この日本では多々あります。

どうしてそれでも書こうと思ったかというと、

この業界ではマーケティングが毛嫌いされているけれど、その方達に「あなたにとってのマーケティングってなんですか?」とお聞きすると、どうもガチガチの数字絡めだとか、データ主義宣伝や広告、そしてなにより「クリエイティビティの真逆をいくもの」という印象を持っておられる方が多いんだな、と思ったんですね。

多分その印象の正体は1980年代の日本でバブルが終焉を迎える中、今まで作れば売れていた物質が飽和状態となり「消費者が望む物を作らなければ生き残れない」という中で生まれた「マーケットイン・プロダクトアウト」の考え方の延長からきているように思います。

それに対して、とても勿体ない!と思いました。

売れそうな物、いい素質、よい技術。そういうものが、埋もれている気がしてならないのです。

もしも、そういう方がいらっしゃるとしたら、この記事が何かきっかけくらいになれば幸いです。

 

マーケティングはクリエイティブと相互作用する

 

数字やデータ、宣伝や広告。それはもちろんマーケティングの概念の中に存在するものです。

4Cや4Pという考え方も存在しますが、ここにフォーカスしてしまうとまた偏った印象に拍車をかけてしまうことが(経験上)多いのでやめておきます。

マーケティングの定義というのは、日本マーケティング協会などが定義しておりますけれども、その実、時代によってその考え方は流動的であり、変化し続けています。(これに関してはフィリップ・コトラーという人がいますが、「マーケティング1.0」とか、そういう言葉耳にしたことはあるでしょうか。興味を持てたらぜひ調べてみてください。)

さて、時代によって変わる物って?

社会情勢や環境は刻々と変化し続けますよね。

わたしたちも確実に変化しましたし、ガラケーからiPhoneなんて大きな変化ですが、割とすんなり受け入れました。

そう、ユーザーやその周りを取り巻く環境は刻々と、そして時には目を凝らさないと見えない形で変化していきます。

社会情勢や問題が変われば、ニーズや価値観も変わっていきます。そういうことを踏まえた上で、「あなたはあなたが価値を与えられうる(潜在)顧客に対して何ができますか?」というこの一点に尽きると思っています。

これは非常に感性が試されるところであり、クリエイティブに反映していく大事な考え方です。

ですがこう、ユーザー、ユーザーと連呼すると、あの悲劇を思い出す業界人がいるのは仕方がないと思います。

問題になっている、商品の同質化ですね。

ですがそれは、マーケティングとクリエイティブを切り離してしまったがゆえのことなのです。

マーケティングすれば、企画はいらない。と言ったのはむしろ業界の方だったはず。デザイナー不要論なんてセンセーショナルな話題も一時期は飛び交いましたね。それをいつしかマーケティングのせいにしている気も。

マーケットにあるもの、マーケットの中で売れている物を知る、ことは私自身は大切なことだと思っています。

でもマーケットにあるもの、マーケットの中で売れている物を作る、ことがマーケティングの本質ではありません。

 

顧客は、そして私は、本当は何を求めてる?

 

マーケティングを、「数字を読んでデータ通りに売れ筋だけを作る」手法だと認識されてしまった悲劇が今だ続いているように思います。

そこまで単純な、わかりやすいものではないのです。

流動的であり、感情的なものです。

もっともっとプリミティブな欲求に始まる心理的ななにか。

結構、高度な仕事だと思いますが、これを簡単と捉えるか難しいと捉えるかはその人次第。

でもその変わりゆく感情を想像し、ものを作り出すという行為は、当然デザインやクリエイティブを要します。

その時に、データや数字、そしてユーザーヒアリングはそれを助けてくれます。

データや数字といったって、自社の売れた物やランキングだけを見ればいいわけではないです。

例えば、服を作るにしても、なぜ若者は車を持たないのか?

そんなことから見つける、顧客の欲求があるはずです。

それは絶対にものづくりを助けてくれる一つの要素になるはずです。

 

作れば売れる時代と、いい物を作っても売れない時代

 

作れば売れる時代があったんだよ!なんていう話もよく聞きますが、今が確実にそうではないことは誰もがわかっていること。

ものづくりをして売る、という行為は、社会に向けてなにかを発信する行為です。

受け手が刻々と変わっているのに、ずっと同じ考え方でものを作っていたら、いつかコミュニケーションミスが起きるのは想像に難くないはず。

「共感」や「インフルエンサー」というキーワードばかりが、マーケティングの中で目立ってしまっている以上、今の時代の「広告」に対する感情と同じように捉えられても仕方ないのかもしれません。

でもきっと本来は、もっと奥深い世界であり、人の気持ちに寄り添うためのものでもあり、時に人の欲求やコンプレックスの克服を叶えるなど、問題解決に繋がるところも、とてもプロダクトデザインなどに似ていると思うんですね。

むしろ、デザインに限らず、人に寄り添うための、人に適切に感動を与えるための、そして届けるための活動ほとんどが、マーケティングと結びつくと思います。

基本的な商売というのはその考えを取り残してはいけないのに、「なんだって作れば売れる」なんて時代を引きずっているのをみると、その時代こそがイレギュラーなのでは。という気持ちになってしまうのは、私自身が平成生まれであるがゆえ、なのでしょうか?

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中溝 雪未
About 中溝 雪未 69 Articles
1990年生まれ。コレクションブランドの企画室でインターンからデザイナーアシスタントとして勤務。その後アパレルブランドで布帛・ニットをはじめとするデザイナーの経験を積み独立。現在フリーランスとして企画・デザイン・パターンを担当。 プロダクトアウトなものづくりからマーケットインまで、偏らないバランス感覚を武器に、コンセプトメイクからお客様に届くまでをディレクションするプランナーとして業界を問わず活動中。