「一生販売員どまり」という感覚、もう古くないですか

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こんにちは、モリノです。

 

「一生販売員どまり」って
この表現、なんでしょうね?

 

読んで字のごとくなのは分かるんですけど、まるで、一生販売員じゃいけないみたいです。

「一生営業どまり」とか
「一生パタンナーどまり」とか
「一生デザイナーどまり」とか

あんまり聞かないですし

「一生医者どまり」

なんて聞いたこと無いです。

だけど

「一生販売員どまり」って
よく聞く気がしませんか。

 

言ったことがある方も、多いかもしれませんね。

 

実は私も
「一生販売員やるわけにも…」くらいには思ったことがあります。

 

記憶に新しいのは、一年ちょっと前、販売員を一度辞めたときです。

当時勤務していた店頭で、販売員の置かれている状況(お給料や社販といった経済事情、シフト体制)や、社内での扱い、ときに感じるお客様からの卑下した目線などから、一生やるものじゃないと思ったのです。

子育て中の時短社員をのぞけば、当時私は女性スタッフの中で最年長だったし
若くてかわいい後輩たちと
その180度反対側にいる自分

敵わないな、と思いました。

他店を見渡しても、自分より歳上で店頭に立っている女性たちと言えば、なかなかのキャラクターの強さ。

自分にあの強さは無い…と思いました。

 

かといって
本社勤務がしたいとは思ったことが無くて(興味のわく分野はあったけど)

年齢と給与面を理由に販売員を辞めたんです。

 

ところがちょっとしたアクシデントで
わりとすぐ販売員に戻っちゃったんですけど、

そこはたまたま平均年齢が高いお店で、私の歳で下から二番目でした。

 

でも

前の会社の歳上社員よりも

ムリ無く、ムリして見えず(ごめんなさい!)、かっこよく働いている方ばかり。

経歴や経験の蓄積が、仕事ぶりや美しい所作のひとつひとつに表れていました。

取って付けたようなマニュアルでお客様をさばこうとしないし、全員最前線。

プレッシャーも大きいけど、顧客様とのコミュニケーションもよくとれていました。
お客様はブランドも販売員も愛してくれていました。

私はあのお店に入らなかったら、ハプニングが収まったころに、やっぱりすぐ辞めてたかもしれません。本当にたまたまでしたが、いま振り返れば、頭にも心にも、とても良い転換期になりました。

水を得た魚のように、私は販売員として生き返りました。

今は、心底販売員の仕事を愛していて
毎日店頭に立っています。

本当に毎日。以外と、体力ありました。(笑)

 

もし、いま、年齢とか先入観で

仕事に対して潮時な気がしてる販売員さんがいたら、職業を変える前に、場所を変えてみることもひとつの方法だということをお伝えしたいです。
販売員って、何か別の仕事の途中通過点なんでしょうか?

表題の表現について思うことです。

むかしは、そうだったのかも知れません。

店頭で販売員として経験を積むことが、本社勤務への登竜門のような。

でも、いまはどうでしょうか。

本社勤務は本社勤務で経験者の募集をかけている会社の多いこと。

また、女性の社会進出や時短勤務制度の定着、共働きが当たり前の時代で

本社のポストがまず増えないし、空かない(空くときは誰かがやめるか病気で休職…)。

販売員の延長線上に、社内の違う職があると思うのはもう時代に合ってないのではないでしょうか。

お客様が店頭の販売員に求めることの体現に向けて日々スキルUPをしていたら生涯かかって当然では?

そう、一生、終わりなきチャレンジです。

時代も、お客様も、変化するから。

超ベテランで、見聞が広くて、生き字引みたいな人が販売員だったら、良いお買い物がしたいお客様にとって、とても頼りになるんじゃないかな。

あなたから買いたい!って

思っちゃうんじゃないかな。

 

この仕事を通してたくさん努力して、悩みを乗り越え、喜びを感じ、成長しながら生きていて、なんだかめちゃくちゃ売れるし、さらには導いてくれる販売員が身近にいたら、

新人や中堅の販売員も将来の自分と重ねて目標が持てたりしないかな

 

ちょうど、営業時間の短縮や定休日の復活などがちらほら提案されている時代に差し掛かっているようだし、

ECと店頭の棲み分けのためにも

販売員が「こしかけ」みたいな仕事の仕方したり、周りがそういう目で見るの、もう古くないですか?

 

ね、ちょっと

販売員を生涯やる方向で考えて

ちゃんとやってみません?

 

 

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About 森野 68 Articles
森野 2018/7/1迄、TopSeller.styleブログ火曜日を担当。