単純に、そりゃそうだろうといったタイトルなんですが、服の重さとコストは密な関係性があります。
僕ら作る側の感覚からいくと、軽いものはコストが安く、重いものはコスト高い、というのがベースにあります。
これはおそらく、年代で価値観が分かれると思いますが、「重いものは原料をたくさん使うからコストが高くなる」というのは、考えてみたら、普通の感覚だと思います。
メルトンのコートが高いのは、ウール原料がそもそも化学繊維に比べて高価で、かつ、生地が重く、さらに、その生地をたくさん使っているから、となれば納得の価値に感じてもらえるでしょうか。
コットンのスウェットでも、巷にある一つのブランドの中で、同じような形なのに価格の上下があるのは、原料の差などを除けば、重さと関係していると考えられます。このような服や生地の重さのことを『目付(めつけ)』と呼びます。
目付が重いとコスト高になるのはなぜかというのはなんとなく掴めたでしょうか。
逆に「目付が軽いのに生地コストが高い」というケースも出てきます。
対比するものにもよるのですが、原料が同等クラスと仮定して話を進めます。
軽いということは、糸が細いか、密度が粗いか、などの理由が考えられますが、普通の基準より軽いのにコストが高い場合は、いずれも生地や服など商品に仕上げることが難しい場合が多いです。同じ原料でより細い糸を紡ぎ出すには糸が切れやすかったり、生地にする手前の工程で巻き直しするのに時間が掛かったりと、質量的価値より、時間的価値が付加されています。
生地にするのも同じで、密度を必要以上に甘くするということは機械効率を下げることになりますし、密度が粗いものを生地として成立させるには縫いやすくするためにスポンジングなど予め縮ませる工程を挟んだり、服に仕立てる際にもとても気をつけて縫わなければならなかったりします。
テキスタイルメイクや縫製の段階で、常軌を逸した軽さを表現できている場合は、製造過程で時間や手間が掛かっているのでその分価格に反映されていると考えられます。
いわゆる適番手適ゲージという、生産効率上、普通の設定に対して、重くなる設定をすると質量的価値が上がって、常軌を逸した軽さを表現しようとすると、時間的価値が上がるというわけです。
普通よりちょっと軽くして安くするとか、そういうコストを下げる方法も存在します。高級原料を使用する際などは、生地を重くしてしまうとコストにダイレクトに響きますので、やはり若干軽めの仕上げになる場合が多いです。
僕が「安っぽいな」と感じてしまうテキスタイルは、適性より若干軽く仕上げてコストを意識しているものに多いように感じます。これは僕個人の感覚的なものなので、その生地の安っぽさを上回る、商品としての完成度があれば市場で売れる可能性はあると思いますが、生地と仕立て映えのバランスはやはりきちんと考えて作られたものは服の顔が語ってくるところがあると言いますか、着用後に納得できるものがあると言いますか。なんと言いますか。
原価をチョンボして儲けようとしているブランドを責めるとか、原価が安いのにぼったくってるとか、そういうことが言いたいわけではなく、それはそれで、ブランドとして買ってくれる人に価値を感じてもらっていれば問題ない話なので、僕は生地作ってて、やっぱりちゃんとやってるところは高いよねっていうそれだけの話なんですが、結局何の話でしたっけ。